2012年5月13日(日)
いまだに「これが原発だ」
政治的な話題はつまんねーから書きたくないと常々思っているのだが、それでも書かずにいられないこともある。
昨年の大震災以来、関連事項を何度か書いていて、これはある程度仕方がないことだと思う。考えずに、書かずにおられないほどのことがあったのだからお許し願いたい。
今回もその流れといえば流れなのだが、原発についてである。
故郷のF師匠が、当方が原発に関して放射能汚染に関して思い悩む様を見て、ライギョDVDと共に「ちょっと古い本だけど読んでみて」と送ってくれたのが、報道写真家である樋口健二氏が1991年、20年以上前に出した「これが原発だ」という本である。
この本は、被害者の、被害者と認めてさえもらえず葬り去られていった者の、悲しみと怒りと嘆きに満ちたその声を姿を丁寧な取材で紹介していっている。著者は原発内部での作業時の被爆が原因と考えられる死者の葬式にも出向き「人が死んでいるのにカメラなど向けるな!」と怒声を浴びせられつつも、報道写真家として使命を全うするべくシャッターを押し続ける。
この本に書かれていることは、全く目新しくはない。しかし全く色褪せておらず、今まさに、20年もたった今でも本質は一つも変わっていない様にさえ思える。ナゼだ!
原発内での作業者は、孫請けひ孫請けの、地元農家の裏作やら都会で職にあぶれた労働者やらからなる末端労働者が、ほとんど使い捨てで、賃金を中間搾取されながら働かされている。
今も20年前と何ら変わることがない。
福島の事故処理にあたる労働者の賃金は一日1万円から数万円程度らしいが、東京電力からは1人あたり20万円からの人件費が支出されているようである。いかに斡旋業者が旨い汁を吸って、原発村の利権を甘受しているか、その構造が分かろうというものだ。
本作では、被爆認定を受けられず、闇に葬られていったような原発内末端労働者の実体を聞き取りなどで丁寧に追っている。
「原発内では熱くて防護マスクなどしていられない」、「体調が悪くなり被爆が疑われたが、医者はグルで被爆の認定をしてくれない」、「告訴は金でもみ消された、貧乏なので抵抗できなかった」等々等々。
「今は、厳しい線量管理を行っているからそのようなことはない」なんて言葉は、あれだけデタラメを吐きまくった原発サイドの言葉にもはや信憑性など無く、おそらく今でも末端の労働者は被爆のリスクにさらされ、実際に被爆し、それでも金やら権力やらでもみ消されているのであろうと充分推察できる。
東海村の臨界事故でも、作業員が決死の覚悟で臨界している核燃料にバケツで溶液量増やして鎮静化するも被爆し「朽ちていった」。末端の労働者を部品のように使い捨てにしながらまわってきた、どうしようもない発電方法が原発なのだと理解する。
いざ事故の起こったときのとんでもない被害と処理コスト、運営するために多くの労働者の健康を犠牲にするしかないような複雑で管理に手間のかかるシステム。放射性廃棄物の最終処理問題が未だに抜本的解決策も示されないまま、先延ばしにしながら回しているお気楽さ。経営のためにリスク対策の予算まで削る危機管理意識の欠如。
もはや終わっているといより、初めから無理があったと認識すべきだろう。
本書では、日本企業が途上国でレアアース採掘に際して排出される放射性物質を、政府を買収したり制度の不備を突いたりして、その辺に野積みにして被爆者を大量に造り出したという「公害」の輸出の例も紹介している。同じ日本人として、申し訳ないとしかいいようがない。
イギリスの調査会社主体でその国が「世界に良い影響を与えているか」、「悪い影響を与えているか」という聞き取り調査を行った結果、今年は経済悪化中のEUをおさえて日本がトップだったそうだ。念のため申し添えるが良い方でである。
そう評価していただけるのは名誉なことだが、福島の事故で世界中に迷惑をかけ、今はないのかも知れないが公害を輸出していたような国に対して買いかぶりすぎだという気もする。
日本が、原発事故を教訓に、代替燃料、特に自然エネルギー利用の分野ですばらしい技術革新をはかり、それを世界に発信して行けたときに、そういう評価をしてもらいたい。
地熱発電など温度差で発電する時の熱交換機の技術は佐賀大の研究チームが優れた成果を出していると聞いたことがある、太陽光発電の低コスト化に関連する技術革新も次々研究が進んでいると聞く、その他にも石油?精製藻類の利用やら、いろんな技術の芽は芽吹いているように聞いている。原発なんて一切やめて、そちらに予算を振り向ければ、結局それで産業が興るのなら、飯が食える人が増えて、「原発村住民」が食っていくためだけに回されているような原発の必要性は根本的に消滅すると思う。
そうして欲しい。原発は全く愚かなシステムだ。

